東京の男、京都の女〜最適解をめぐって〜

「東男と京女」という言葉がある。

意味は「東男に京女とは、男は粋でたくましい江戸っ子がよく、女はしとやかで女らしい京都の女がよいということ。」

誰しも一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。
 
実際問題このご時世にこんなことを口走るとボロクソに叩かれそうなものだが、そういうルッキズムやらの話はまた別の機会に回すとして、今回はこの言葉の捉え方を切り口にして語りたい。

 さて、「東男と京女」が真実だとしよう。

ざっくり言うと関東男>関西男、関東女<関西女を仮定しよう。あなたが男性だとして、関西男と関東男どちらになりたいだろうか?
 
当然、この前提条件を見る限りは関東男と言いたいだろう。しかしよく考えてみよう。

関西に住んでいると良い女と巡り合える機会が増えるのである。
これも踏まえてあなたはどちらを選択したいと思うだろうか?(女性でわかりづらいなら関東と関西、男と女を読み替えてね)

 関東男を選択するなら、周囲の環境よりも自信のスペックを優先したということ。

関西男を選択したならその逆。

人によっては関西女とはインターネットでつながればいいじゃんみたいな回答もあるだろう。

そして推測でしか無いが、裏を返せば選んだ選択肢は今の自分に欠けているものを表しているということは無いだろうか?
この切り口から自分の欲しいものを考えてみる手法、悪くないと個人的には思った。


 似たような選択肢として「井の中の蛙⇔大海」、「鶏口⇔牛後」がある。

就職で「牛後」を選んだ自分だが、「鶏口」のささやかな幸せに憧れる。

そして自分の無力さで失敗したときに、大海に飛び出すことをたまに後悔する。

就職後の人生設計としては、「牛後」で身につけたキャリアとスキルで「鶏口」のささやかな幸せを享受する、そんなものを思い浮かべていた時期もあった。

「牛後」のメリット、特に人(恋愛対象となる女性含む)からの承認欲求を上手く享受できてない今、最良の選択肢はなんなのか、
再考しようと思い始めている。