されど空の青さを知る。

はてなブログだと誰も興味が無いようなことをつらつらと、

真の意味で厨二病的な事も気ままに書けるのでついつい長くなってしまい、よくありませんね...
 

与太話はさておき、みなさんは中高大といかがお過ごしでしたでしょうか。

周知の通り、私は世から隔絶された男子校(東京大学)に日々通っていました。

いや、今回は女の子がいなかったことを嘆く方の話じゃないです。

 

小学校から大学まで世間と関わらなかった自分の想いと勘違いをつらつらと並べるだけです。

ハッキリ言って中身はありません。


小中学校の頃、女子は女子らしくすぐ喧嘩したり泣いたり群れたりしていた。

よくもまあ、同級生が10人もいない小さな世界で恋だの愛だのに夢中になれるものだと感心していた。

 

男子は球を持って遊んで、下ネタでキャッキャしていた。

他に娯楽が無いので、これくらいしかする事が無かった。

私はというと、NHKの払い下げ品のパラボラアンテナを自力で修理・改良して主に中国のラジオ放送を聞いていた生粋のメカニックだった。

技術書を読んでいくと、ある程度は物理学をやる必要があることに気が付き、

さらにその意味を知りたければ数学をやらねばならないことに気がついた私は同級生と交わるのを潔しとせず、数学にのめり込んだ。

 

高校では離島通学ゆえに入学したての頃は知人がいないので、キャラ設定をミスると孤立するため、

中学までと同じようにアホみたいな事をやり出すには時間がかかった。

 

しかし、ある程度時間が経つと気の合う人たちとも親交を深めることができた。

毎日どうでもいいことを大真面目に議論していた。

例えば、「時間は連続か不連続か」、「電車の屋根に乗っている人が飛ばされた時、それは風圧によるものか加速度によるものか」など。

 

一方で自分なりに好き勝手に興味の赴くがままに勉強し、

哲学のようなものを磨いて、単にGoogleで検索すれば出てくるような知識だけでは無く、人生の指針となるような考え方を持てるようになった。

私の原点は高校からだと思う。

 

高校で出会った人たちは一人一人個性を磨いて生きていた。(良し悪しではあるが)

 

あと、先に述べた通り、離島から通学していたため、皆と家が遠いのもあり、帰宅後のプライベートは大人な距離感だったりした。
 

希望を胸に抱き大学に入って驚いた事は、自分の考えを持たない人間があまりにも多かったことだ。

 

日本一頭の良い人たちが集まる東京大学なので、何か実りとなるような結果が得られるのでは?と思っていたが現実は違った。

 

対話とは個々の考えをぶつけ合って新たな境地を開くものだとばかり思っていたので、石を投げても宙空に舞うだけの会話は虚しさしかなかった。

 

それどころか、議論を通じた対話は煙たがられる事が多かった。

日本の最高学府である東京大学ですらこのザマであるから、他の大学など推して知るべしだろう。

 

しかし、適応力は高いので一ヶ月もかけずに馴染んではみたが、まずそこで幻想は崩れた。

そういえば最近気づいたが、女子は中高を卒業して大学生、社会人になっても結局女子のままでいるようだ。(差別的な意味ではありません。)
 

ついでに授業内容の浅さに嫌気が差した。基礎教養で半分以上知ってることしか習わないのは小学校以来の悲しさだった。

そこには測りしれない絶望があった。

 

タダ飯にありつこうとサークルの新歓に行ってみた。

サークル≒部活 と思っていたので、

私の部活感は青春というエネルギーを注いで何かを極めてトップを狙うものであったが、当然そのようなサークルは少なく、

内輪で群れて楽しむ様子だったので価値を感じず早々に見切って撤退した。
 

最後に行った新歓(飲みサー)では、外の大学から女子を引き連れて飲ませて酩酊させ、落とそうとしていた。いわゆるお持ち帰りというやつです。

(近隣の女子大が多かったように思います。)

 

その時に「獣に落ちないと恋愛ができないのならば、私は人間として名誉ある非リアを貫く」という間違った覚悟が芽生えた。

(正直今もちょっと残ってる)
 

今の自分はある意味で俗世に流されている気もするが、

大学時代よりもまともに夢を持っている。

同時に現実と折り合いをつけることも覚えた。

でももし、大学生に戻れたとしたら、キャピキャピした女の子と遊びたいなとふと思う。