ダイパリメイクに際して、いにしえのオタクより。

昔のポケモンは良かった。

 

などと言うつもりはないし、正直言って今の方が見やすい。

 

だが、夜中にこっそり灯りを消して親に隠れてポケモンの世界を旅していたあの頃の方がドキドキワクワクしていたのは、紛れもない事実だと思う。

 

では昔のポケモンをやり直してはどうか。

 

最近はネット上に旧作が公開されていたりする。

無料(法律的にはアウトかもしれない)なのでやり直してみたが、どうしても画質やBGMが気になるし、今熱中できるかと言われると正直怪しい。

あの時熱中したワクワクをいつ想い出せるのだろうか。

 

私の人生はポケモンと共にあった。

 

金銀にはじまり、ルビサファ、ダイヤモンド パール、ブラック ホワイト...どれもワクワクしながらプレイしていたのだが、思い出にとっておいた方が幸せなのだと気づいた。

 

時は残酷だ。

 

高校生の頃には生きる目的を問われた時、「次のポケモンの新作が楽しみだからだ」と冗談半分に答えていた。

 

あの言葉は本気に見えたと友達は言った。

 

失いかけた今になって半分本気だったのだと気づいた。

 

そして、今はもう半分も怪しい。

 

書きながら私の夢を思い出した。

 

私だけのポケモンが欲しい。サトシとピカチュウのように、心からの信頼を築き上げることができる、そんなポケモンが。

タイムマシンがあったなら。

 拝啓 Aさん。寒さが身にしみる季節になったね。お元気ですか?

お元気ですか?なんて言ったところで返事が返ってこないのは分かっているけれど、

だからこそ、インターネットの虚空に心の奥底にしまった叫びを放り投げたいこと、あるだろう?

まあ、そういうわけだ。ちょっとばかり弱音を吐かせてくれよ。

 

 君に出会ったのは高校の入学式だったね。たしか君は、僕の前の席に座っていて、同じ中学から来た友だちと話していたっけ。

 

その姿が荒野に咲くスミレの花のようで思わず僕は一目惚れしたんだ。

高校生活が始まってしばらくすると、チラホラとカップルができ始めて、君は2年生の先輩と付き合い始めたワケだけど、アレは結構心にきたのを今でも覚えているよ。

 

 そこで先輩から君を奪うような意気地は無かったし、仮にもし付き合えても食事デートで奢ってあげたり、一緒に買い物をしに行ったり、そういう事に回せるお金が無いから一度は諦めたんだ。

知っての通り、僕の実家は漁師で年がら年中ビンボーだから。

 

 だからいつかちょっとは格好つけられるくらいには稼げるようになろうと思って、死ぬほど勉強したんだ。それで分不相応だけどハーバードまで出たんだ。

 

けど、金を持ってるだけの成金野郎になりたくなかったから、本当は嫌いなのにトルストイを読んだり、芸術に親しんだり、君が「将来行ってみたいな〜」って言ってたのを聞いて必死にフランス語やドイツ語までマスターしたんだ。いつか君に釣り合う男になりたくて。

 

 いつか帰国した時に送ったタイムズスクエアのスタバのタンブラー、君が欲しいってFacebookに投稿していたから開店の5時間も前から並んで買ったんだ。

真冬のニューヨークは寒いんだ。そういう僕なりの努力、君は知らないだろう?

 

 そんなこんなで不器用なりに色々頑張ってようやく君をご飯に誘ったあの日の返事は「彼氏いるから。」だったね。

その後ブロックされちゃって、アレが君と交わした最後の会話になるだなんて、僕の努力は一体何だったんだ。

 

 今さら年甲斐もなく君を口説こうなんて思っちゃいない。ただ「頑張ったね」って言ってくれれば全部報われるのに、あんまりじゃないか?

 

 人づてに聞いたんだけど、そんな君も結婚するらしいね。

相手は細身で長身の職場で出会った先輩看護師と聞く。そんな話を聞きながら「おめでとうと伝えてくれ」って言っていた私が心密かに涙を流していたのを君は知らないだろう?

 

 僕はどこで間違えたのか。最近そんなことばかり考えているんだ。ハーバードに行ったことだろうか?東大に行ったことだろうか?

答えは出ない。答えが出ないから余計にそれを考えてしまう。勉強してきて身についた悪い習慣だね。

 

 だから、タイムマシンが発明されたら高校生の僕に勉強の方面での努力の無意味さを伝えたいと思う。のちにハーバードで学位を取れる頭の良い子だから直ちに理解して、きっとお笑いなりスポーツなり別の方面にリソースを割いてくれるだろう。そうすれば未来の僕はこんなに苦しまずに済むから。

 

 最後になるけど、結婚おめでとう。どうかお幸せに。僕は夢の残骸をまとって僕の道で頑張るよ。いつかタイムマシンが発明されるその日まで。

 敬具

 

されど空の青さを知る。

はてなブログだと誰も興味が無いようなことをつらつらと、

真の意味で厨二病的な事も気ままに書けるのでついつい長くなってしまい、よくありませんね...
 

与太話はさておき、みなさんは中高大といかがお過ごしでしたでしょうか。

周知の通り、私は世から隔絶された男子校(東京大学)に日々通っていました。

いや、今回は女の子がいなかったことを嘆く方の話じゃないです。

 

小学校から大学まで世間と関わらなかった自分の想いと勘違いをつらつらと並べるだけです。

ハッキリ言って中身はありません。


小中学校の頃、女子は女子らしくすぐ喧嘩したり泣いたり群れたりしていた。

よくもまあ、同級生が10人もいない小さな世界で恋だの愛だのに夢中になれるものだと感心していた。

 

男子は球を持って遊んで、下ネタでキャッキャしていた。

他に娯楽が無いので、これくらいしかする事が無かった。

私はというと、NHKの払い下げ品のパラボラアンテナを自力で修理・改良して主に中国のラジオ放送を聞いていた生粋のメカニックだった。

技術書を読んでいくと、ある程度は物理学をやる必要があることに気が付き、

さらにその意味を知りたければ数学をやらねばならないことに気がついた私は同級生と交わるのを潔しとせず、数学にのめり込んだ。

 

高校では離島通学ゆえに入学したての頃は知人がいないので、キャラ設定をミスると孤立するため、

中学までと同じようにアホみたいな事をやり出すには時間がかかった。

 

しかし、ある程度時間が経つと気の合う人たちとも親交を深めることができた。

毎日どうでもいいことを大真面目に議論していた。

例えば、「時間は連続か不連続か」、「電車の屋根に乗っている人が飛ばされた時、それは風圧によるものか加速度によるものか」など。

 

一方で自分なりに好き勝手に興味の赴くがままに勉強し、

哲学のようなものを磨いて、単にGoogleで検索すれば出てくるような知識だけでは無く、人生の指針となるような考え方を持てるようになった。

私の原点は高校からだと思う。

 

高校で出会った人たちは一人一人個性を磨いて生きていた。(良し悪しではあるが)

 

あと、先に述べた通り、離島から通学していたため、皆と家が遠いのもあり、帰宅後のプライベートは大人な距離感だったりした。
 

希望を胸に抱き大学に入って驚いた事は、自分の考えを持たない人間があまりにも多かったことだ。

 

日本一頭の良い人たちが集まる東京大学なので、何か実りとなるような結果が得られるのでは?と思っていたが現実は違った。

 

対話とは個々の考えをぶつけ合って新たな境地を開くものだとばかり思っていたので、石を投げても宙空に舞うだけの会話は虚しさしかなかった。

 

それどころか、議論を通じた対話は煙たがられる事が多かった。

日本の最高学府である東京大学ですらこのザマであるから、他の大学など推して知るべしだろう。

 

しかし、適応力は高いので一ヶ月もかけずに馴染んではみたが、まずそこで幻想は崩れた。

そういえば最近気づいたが、女子は中高を卒業して大学生、社会人になっても結局女子のままでいるようだ。(差別的な意味ではありません。)
 

ついでに授業内容の浅さに嫌気が差した。基礎教養で半分以上知ってることしか習わないのは小学校以来の悲しさだった。

そこには測りしれない絶望があった。

 

タダ飯にありつこうとサークルの新歓に行ってみた。

サークル≒部活 と思っていたので、

私の部活感は青春というエネルギーを注いで何かを極めてトップを狙うものであったが、当然そのようなサークルは少なく、

内輪で群れて楽しむ様子だったので価値を感じず早々に見切って撤退した。
 

最後に行った新歓(飲みサー)では、外の大学から女子を引き連れて飲ませて酩酊させ、落とそうとしていた。いわゆるお持ち帰りというやつです。

(近隣の女子大が多かったように思います。)

 

その時に「獣に落ちないと恋愛ができないのならば、私は人間として名誉ある非リアを貫く」という間違った覚悟が芽生えた。

(正直今もちょっと残ってる)
 

今の自分はある意味で俗世に流されている気もするが、

大学時代よりもまともに夢を持っている。

同時に現実と折り合いをつけることも覚えた。

でももし、大学生に戻れたとしたら、キャピキャピした女の子と遊びたいなとふと思う。

自宅で美味しいプリンをつくろう!

※タイトル詐欺です。戦略考察です。

 

 最近、マイノリティが密かにブームとなっている。特にこのネット社会、ノイジーマイノリティなるもの(声は大きいが人数は少数)が現れるなど、影響力は確実に増してきている。そこで、マイノリティが声高に叫ぶ権利をどのように勝ち取るかを、マイノリティの置かれた状況に配慮して考察することにした。

 

一切の感情論を抜きにして。

 

・マイノリティの置かれている状況(盤面考察)

 マイノリティと一口に言っても、置かれている状況は多種多様である。今回は目に見える対立構造を①男女型、②日本政治型、③従来差別型、④多様型の4つに分類してみた。

①~④のマイノリティ構造の特徴をまとめてみよう。



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① 男女型は、集団の構成員全てが対立構造に巻き込まれ、かつ二分化された状況の中で、いずれの層にも属さないマイノリティが置かれている状態である。

② 日本政治型は、集団の構成員のうち一部が対立構造をとり、残りは興味がないものである。対立構造の中にマイノリティが置かれている。

③ 従来差別型は、黒人差別やいじめ等、いわゆるマジョリティvsマイノリティの単純な対立構造である。

④ 多様型は、住んでいる地方のように集団の構成員が複数に区分けされており。区分けの中にマイノリティの対立構造が置かれている。

 

・マイノリティの権利主張方法(戦略考察)

マイノリティがマジョリティに権利を訴える際に、単に主張や要求をするだけでは聞き入れられないだろう。よくある戦略として、(α)寝た子を起こす、(β)対立者の勧誘・融和、(γ)革命(既存体制の破壊)が挙げられる。戦略(α)~(γ)の効果を、①~④の盤面ごとにまとめてみる。

 


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先に戦略(α)(β)の効果を説明する。

①男女型で(α)寝た子を起こす戦略を取ることを考える。正直、男女の対立や融和はほぼ全ての人間が当事者であるので、あまり寝てはいない。但し、置かれている状況の認識を変革させることはできる。(β)対立者の勧誘は、男女どちらを味方に引き込むかという極めて困難な課題が残る。男女どちらを引き入れるかでの内ゲバ、引き入れた味方同士での内ゲバなど、余計な問題を抱えることとなる。

 

②日本政治型で戦略(α)は有効である。わざわざ対立者を勧誘せずとも、ノンポリなる潜在的支持者の確保が手っ取り早いからだ。

 

③従来差別型は、そもそもマジョリティにマイノリティの権利を保証するメリットが薄いので、寝た子を起こした後もあまり良い結果を期待できず、(β)対立者の勧誘もよほどの物好きにしか効かないだろう。

 

④多様型について、意外かもしれないが(α)寝た子を起こすは有効である。他の地域の人間に周知し、興味を持ってもらえるメリットは、利用されるデメリットを差し引いても十分大きい。一方、地域内に限ると③従来差別型と同じ構造なので、(β)対立者の勧誘は効果が薄いだろう。

 

 なお、(γ)革命は盤面リセット戦略なので、(α)や(β)でもどうしようもない悪盤面で使うのが理想である。③従来差別型が使うのが好ましいだろう。革命の過程で、別の対立構造を利用するというのも理にかなっている。一見①男女型も使えそうだが、戦うべき相手がどちらなのかよくわからない。強いて結果を述べるなら、男女どちらかに利用され、あまり利益を得られず終わるだけだろう。

 

 ここまで検討してきたが、①男女型の取るべき戦略だけが極めて難しい。男女間対立でフェミニストの主張する一人一派という概念は、戦略面において的を射ているのかもしれない。

 

(余談だが、三省堂国語辞典の見解では「うまく捉える」という意味合いにおいて「的を得る」というのは誤用にはあたらないようです。 https://www.google.com/amp/s/www.weblio.jp/content/amp/%25E7%259A%2584%25E3%2582%2592%25E5%25BE%2597%25E3%2582%258B )

ロリコンが気持ち悪いメカニズムについて

世間からロリコンが気持ち悪いと散々言われ、それに対し反発する流れは飽きるほどに見受けられる。

いったい何故、ロリコンは気持ち悪いのだろうか?



・そもそも「気持ち悪い」とは

例えば、足の裏にゴミが挟まったときに「気持ち悪い」と感じる。

ミミズを見て「気持ち悪い」と感じる。

酔って吐きそうになるときに「気持ち悪い」と感じる。

これらに共通する感情である「気持ち悪い」とは、自分が”気持ち”で感じている「普通」(ゴミが挟まってない足、ミミズがいない世界、吐きそうでない状態)とは違う状態が違和感を生み、
解消できないことにより居心地が”悪い”と言えるだろう。

(言語学者ではないので厳密な定義ができないことはご容赦いただきたい。)

・ロリコンを「気持ち悪い」と思う人間の感じている「普通」とは何か?

先程の例にあったように、一般的に生物に向けられる気持ち悪さは、目の前に存在すること自体を気持ち悪いと感じるのだろう。

この解釈において、ロリコンという「一人の男性」が目の前に存在すること自体を気持ち悪いと感じるのだろう。

例えば、人間が家の中にいても気持ち悪くないだろうが、虫がいると気持ち悪い。

犬の場合、気持ち悪い人と気持ち悪くない人に分かれる。猫の場合も同様だが、犬は気持ち悪くないが猫は無理な人がいる。

虫がいても気持ち悪くない人もいるのかもしれない。このように、「気持ち悪い生物グループ」と「気持ち悪くない生物グループ」を個々人の内面に(意識的あるいは無意識的に)作り上げ、グルーピングしているのだろう。

この例をそのまま用いれば、「生物」という大きなカテゴリに対し、ある人は「人間」と「その他生物(虫と犬)」、別の人は「家族や友達(人間と犬)」と「その他生物(虫や野良猫)」のように。

以上の考察から、気持ち悪さを分析するためには、大きなカテゴリと、その分け方の2面から論じるべきであろう。

大きなカテゴリについてだが、基本的には「人間」であろう。

ロリコンが気持ち悪いと論じる文脈で、犬や猫や鳥が想起されていない事がその証拠である(比喩的に虫は使われるかもしれないが…)。

そして、「ロリコン」の含有する意味は”コンプレックス”であるが故に、「人間の内面性」に関するカテゴリであると考えることが自然だ。

また、女性のロリコンというのはあまり論じられていないため、対象は男性であると考えるのが自然であろう。

より細かく分解可能かもしれないが、大きなカテゴリを一旦「男性の内面性」と置こう。

・ロリコンが「気持ち悪い内面をもつ男性グループ」に仕分けられる理由

次に、どのような「男性の内面性」が「普通」で、ロリコンのどこが気持ち悪いのか。

これは世間一般のロリコンのイメージと表裏一体であろう。仮に子供を持つ人なら、「子供に手を出さない存在」を普通(「気持ち悪くないグループ」)だと強く認識するだろう。

逆に言うなら、「自分の子供に性的な興味を抱き、手を出しうる存在」であるロリコンを「気持ち悪いグループ」に入れるだろう。

また、父親と暮らす若い女子なら、父親のような年代の人は自分のような年齢に手を出さないと信じており、手を出しうる存在であるロリコンは普通ではないのだろう。

男性にとっては、若い女性といっても限度があり、小さな女の子に手を出す人間には共感できず、普通ではないと感じるだろう。

では本題に入ろう。「何故」気持ち悪いのか。

例えば、自分に自信がない人の恋愛傾向として、「私なんかを好きになる人は、おかしな人にちがいない」という心理(蛙化現象)が存在する。

「自分自身の理想的な状態」(私を好きになる人はいない)と「自分自身が無意識的に遠ざけている現実の自分」(相手から好意を抱かれた)の差異に対し認知的不協和を起こすと、
現実の側を「気持ち悪い」と排除する(相手がおかしいと感じる)ようになる。

まとめると、このような心理は自己の抱える認知的不協和が根底にある。

このように、自分の思う「普通」でない状態を無意識的に排除する心理が「気持ち悪い」に繋がっていると考えられる。

「自分自身の理想」に対し「ロリコン」という存在が自分の認識したくない内面を無理やり認識させるのだろう。

認知的不協和の根底として色々考えられるが、男性なら「無知な存在に対し優越感を感じたい心理」「社会的規範を破り欲望を解放したい心理」、女性なら「世の中の男性の大半が若い子が好きであり、自分の好きな人間や父親もそのような心理を持ちうること」など自分には存在しないと根拠なく信じていることであろうか。

最後に一つ。

ロリコンを気持ち悪いと思う人間は、この記事の内容とこの記事を書いた人間に対しても同様の認知的不協和を起こすのだろう。私がロリコンであるから、ロリコンを擁護している、と。

この記事をロリコンの同期に捧げる。

誓って私はロリコンではない。

データで結婚は可能なのか?

3年ほど前、ニコニコアンケートでサクッと結婚相談所のアンケートに答えたら、相談所から電話がかかってきた。

どうも無料体験のお誘いらしい。同じ日に近くで用事があったので、人生経験(ネタ)として突入してみた。

 出迎えたのはいかにも仲人にいそうな年配の女性アドバイザー。

ニコニコのアンケートから答えたせいか、私はオタク認定されていた。

間違ってはいないが。学歴、年収、勤め先等を入力させられ、ついに女の子を選ぶ段階へ。

 そこでは、同じように年収、学歴、年齢等で条件を絞ったあと、顔写真等から選ぶスタイルであった。

横のアドバイザーは
「初婚の方がいいでしょう?」
「年齢は±3歳くらいですか?」
とか言ってるのでとりあえず従って進める。

「ほら、こんなにあなたの条件にマッチする人がいます!」

 私が選びたい条件は、"可愛い" "メンヘラじゃない”女の子です。

"可愛い"は結局条件をしぼることができないし、"メンヘラじゃない"に至っては会ってみないとわからない。

これは20代では少ない。

正直、こんな額面上のデータでは何もわからないことがわかっただけだった。

 マッチングアプリは顔と年齢で残酷に好きと嫌いをスワイプする仕掛けであり、好まない人もいるだろう。

私もあまり好みではないが、結婚相談所のデータよりは「私のほしいデータ」が揃っているのだと改めて感じている。

自分で撮った写真、自分で書いたプロフィールの方が、決まりきったステータスよりも如実に人を表すと思えてしまう。

 無料体験の最後に「あなたのステータスならお安くしておきますよ」と言われた。

とりあえず保留にして、後日「彼女ができたので」と断った。

まあ、嘘だが。

VTuber〜新しいアイドルの形態と可能性について〜

さて、みなさん。

突然ですが、2017年度末から流行りだした「バーチャルユーチューバー」なるものをご存知だろうか。

というか皆さんは「ユーチューバー」をご存知だろうか?


ユーチューバーとは、その名の通り動画サイトyoutubeに自身の動画をアップし、再生数を稼ぐことで生計を立てる方々の総称である。

再生数10回につき1円が入るため、例えば月に一回、300万再生される動画をアップすれば月収30万で十分暮らしていけるという寸法だ。

今の子どもたちはユーチューバーを見て育ち、ユーチューバーになりたがる子供もいると聞く。
(小学生向けユーチューバー養成講座なるものも世の中に存在するらしい。)


そして、バーチャルユーチューバーとは、自身の体を張るユーチューバーと異なり、二次元のキャラクター(AIっぽい感じ)のMMD(MikuMikuDance、キャラが踊ってくれるやつ)に声を当てる形式で動画をアップする方々(?)である。

キズナアイ、などと言えば耳にしたことくらいはあるだろうか。

かくいう私も最近、電脳少女Youtuberシロちゃんの動画にハマっている。


バーチャルユーチューバーはオタク向けのユーチューバーだとか、ちょっとキャラがついた途端オタクがユーチューバーに手のひら返ししただとか散々言われているが、あれは15年ほど前のネット黎明期から続く文化の正当な進化系だと思う。

少しネットの昔話をしてみたいと思う。

実在の人物とバーチャルなキャラクターとの中間のような存在であるバーチャルユーチューバー。

古参ネットユーザーならはるか昔に似たようなものが存在していた事を覚えているかもしれない。

そう、バーチャルネットアイドルである。

「バーチャルネットアイドル(以下「VNI」と表記)の産みの親「バーチャルネットアイドル ちゆ12歳」により、「バーチャルアイドルとネットアイドルのあいの子」と定義される。

架空のアイドルであるバーチャルアイドルと、実在の人物がインターネット上で写真を載せたり、日記を書くなどの活動を行うネットアイドルを掛け合わせたものである。

多くのVNIのウェブサイトでは「アニメ風の美少女キャラクターを採用し、キャラクター自身がサイトの運営を行っている」というスタイルをとる[1]。

ウェブサイトのコンテンツについては日記やニュースなど何であってもかまわず、見た目がそれらしければVNIとされた[2][1]。」(出典:wikipedia)


要約すると、かつてのブログ全盛期時代に、実在の人物であるネットアイドル(ネギま!のちうみたいな)というものが存在し、それに対応するバーチャルネットアイドルが存在していた。

つまり、バーチャルユーチューバーに対応する概念は15年前のネットにすでに存在していたわけだ。
(余談だが、ちゆ12歳のページは2017年でもまだ更新されていたりする。)

 次はバーチャルユーチューバーの内容を見ていこう。

あまり多くの動画を見ていないが、主に以下の共通点があると考えられる。
・キャラへのMMDの使用+声だけ当てる
・ゲーム実況
・やってみた、作ってみた、踊ってみた等
・生放送(撮った動画ではなく、無編集の動画という意味)
・ミリしら(音声なし初見動画に声を当ててみる、1ミリも知らない○○が由来)
etc…

これまたお気づきの人もいるだろうが、敢えて言わせて頂きたい。

「これ、youtubeじゃなくてニコニコ動画だよな?」

上に挙げたMMDのような技術、生放送というシステム、実況ややってみたやミリしら等、ほぼ全てニコニコが元祖である。

何が言いたいかというと、これはニコニコから生まれるべき技術と文化の集大成であったのだ。

バーチャルネットアイドルの文化も含めると、パソコンでネットをしていた時代の文化における一種の集大成とも呼べるだろう。

 さて、そうなると一つ疑問が生まれる。

何故ニコニコでこれが生まれなかったのかと。

当のニコニコでは、バーチャルユーチューバーの動画が流行ったものの、youtubeからの転載や編集、ごくたまにMAD動画が作られるのみであり、ほぼ何も生み出せていない。

つまり、これを作れる技術者達はニコニコからyoutubeに行ってしまったということだ。

動画投稿やらにお金がかかるニコニコと、再生されたらお金が入るyoutubeでは比べ物にならないというのも至極当然だが、個人的にはニコニコがそれで儲けた金をニコ生や有名実況者等に配分しすぎたからだと考えている。

ニコニコ動画を再生する人間全てが彼らを見るわけではないし、ニコニコ超会議(笑)などに参加する人間も一握りであることを見誤り、本来支えている人間を逃してしまったのではないだろうかと個人的には思う。

長々と書いてきたが一言だけ。

上に挙げた要素に一つでも懐かしさを感じたなら、バーチャルユーチューバーはオススメですので是非お試しください。